本誌57号掲載のの90〜93ページ、「BRING BACK STORY」において、冒頭の本文が抜け落ちてしまいました。
ご愛読いただいているみなさん、そして、記事制作にご協力いただいたみなさんにご迷惑をお掛けしたことをお詫び申し上げます。
正しく表現された記事のpdf、ならびに本文全文をここに掲載いたします。
ご一読いただければ幸いです。
今後、このような失態を起こさないよう、全身全霊を傾注して記事を制作する所存です。読者諸兄姉のかわらぬご支援をいただけますように。
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記事本文(全文)
端緒は昨年末のことだ。タイヤセレクト青森の鹿内氏から編集部宛に連絡があった。シリーズIのエンジンをオーバーホールするといった内容だった。確かに英国車は往時の部品を入手しやすい。古いものを大切に長く使う国民性が表れていて、旧車をこよなく愛する者にとっては羨ましい環境だ。とは言うものの、さすがに半世紀を過ぎた自動車となると、たとえ機構部品であってもすでに欠品して久しいものもあり、すべてが自由になるわけではない。50年前の機械をリフレッシュすることがいかに大変なことか、それは読者諸賢も容易に想像はつくだろう。
連絡を寄こした鹿内氏も充分に理解していて、一連のオーバーホール作業では他車種の部品を流用したり、ワンオフの加工が絶対的に必要になると話した。概ね故障の原因は掴んでいて、行程の青写真はできているようだったけれども、オーバーホールが完遂できるかはまだ分からないと言った。
今年に入って部品加工の発注をするために神奈川まで足を運んできた鹿内氏と会った。もちろん、シリーズIの部品も実際に見せてもらい、今後どのような作業が進むのかのプランも聞くことができた。だが、正直なところ完成まで辿り着くのは五分五分ではないかとの印象だったのだ。部品の入手はもちろん、技術的な問題が立ちはだかるかも知れない、あるいは、時間やコストの面も含めてオーナーのモチベーション、心が折れてしまうこともあり得ない話ではない。進捗状況の連絡を取り合うことを約束し、目標達成の暁にはオーナーともども取材させて欲しい旨を伝えた。
その後、何度か作業の進捗状況の連絡を受け、ついに車検を取得したとの報告があった。できることならば納車に合わせて取材に伺いたかったのだが、残念ながら予定が調整できずに断念。仕切り直して今回の取材となった。
ランドローバー・シリーズIは1948年に誕生して10年間生産されたモデルだ。今回報告する車輌は1957年の後半に製造して販売、英国の慣例からモデルイヤーは'58年となる。つまり、シリーズIの最終年式である。生産から50年を越える歳月を経過しているのだから、カタチを維持して現存し、しっかりと走行する姿を見ることができるだけでも感動である。
当初、ワンウェイクラッチを使ったフルタイム4WDでスタートしたシリーズIも、'50年以降の四輪駆動システムはパートタイム方式に改められている。ランドローバー伝家の宝刀、センターデフ・フルタイム4WDが確立されるにはもう少しモデルが進むのを待たなければならない。前進4速のマニュアルギアボックスにハイロー2段切り換えのトランスファギアを併せ持つ。四輪駆動への切り換えのために操作レバーは3本だ。現車のホイールベースは88インチ。続く30年間のSWBレギュラーサイズの祖となる。これは'57年に変更されたものだ。同時に4気筒、2052ccのディーゼルエンジンが採用されている。今回取材したシリーズIはBMHTのサーティフィケイトによるとペトロールとなっているのだが、現車に搭載されているのはディーゼルエンジンである。前オーナーが積み替えたのだろうか。今回のオーバーホール・レポートの主役はもちろん、このディーゼルエンジンとなる。
シリーズIのオーナーは宮城県に住む佐々木秀樹氏。自前のガレージには他にもユニークなクルマが並ぶ。例えば、ビートルやワーゲンバス。国産旧車があり、ディフェンダー110もある。相当なクルマ好きと見た。ランドローバーとの、そしてこのシリーズIとの出会い。エンジンオーバーホールに至る経緯を訪ねてみた。
「2003年の2月にディフェンダー110のTd5を買ったんです。以前BJ40を所有していて、泣く泣く手放したという経緯があるので、雰囲気の似たディフェンダーを選びました。それからですね。LROなどの雑誌を読んでいるうちにシリーズIの記事が目について、そのクルマにダルマストーブが付いていたんです。ジープの記憶が蘇ってきて、こういうクルマが欲しいな、ディフェンダーの先祖だし、と」
BJ40の下取りで知り合ったのがツインランドの生井氏で、その縁でシリーズモデルの入手に至ったと話す。現車は英国のショップ、ジョン・クラドックの客が持っていたクルマだった。生井氏が度重なる交渉の末に日本に持ち帰って来たものだ。その顛末もなかなかユニークなストーリーなのだが、本筋からは少々逸脱するので割愛する。佐々木氏は件のシリーズIを入手したく生井氏に交渉する。
結果、佐々木氏が晴れてオーナーとなったのが2004年1月、2年半の時間をかけてレストレーションを施した後に車検を取得したのは2006年の9月のことである。が、オイル漏れと燃料漏れが酷く、そのうちエンジンが止まるようになってしまった。翌年、スペシャルショップに預けてオイルと燃料の件は解決したものの、暖気中にエンジンがガツンと停止してそのまま始動不能になった。それが2008年の9月。かなり重傷なようで進展のないままに時間が過ぎていった。
状況を打開するために佐々木氏はシリーズIを引き取ってきてディーラーに相談したと言う。そこで紹介されたのが冒頭の鹿内氏となるわけである。そのときの様子を鹿内氏が話す。
「話を聞いたときはカムシャフトが折れたのだろうと見立てた。昔のクルマでカムが折れるというのは頻繁にあったからね。そこで、部品商に予測される交換部品が調達できるかを問い合わせたら、なんとか揃いそうなことが分かった。そうしてクルマを見に行って作業を引き受けることにした。まずはエンジンだけ降ろして青森に持ち帰ることから始めた」
さて、青森に持ち帰ったエンジンを分解して、故障の見立てが合っていなかったことが判明。損傷したのはカムシャフトではなくて、バルブリフタ。カムシャフトの回転を損傷した部品がロックしてしまったことでスプロケットが割れ、チェーンが切れるといった事態になっていた。併せてエンジンの各部も経年による消耗が激しく交換を要する状態だった。具体的に挙げると、バルブ、バルブガイド、ピストンリング、シリンダスリーブ、メタル、ウォータポンプ、サーモスタット等々。しかも、ほとんどがパーツ入手が難しい。
「例えば補修部品のピストンとピストンリング、シリンダスリーブがセットになっている。1気筒分が20万円、4気筒で80万円は現実的じゃないでしょ。メタルも入手できない。そうなれば、頭を使って対応していくしかない…」
そうして冒頭の発言になっていく。今回、鹿内氏が施した作業の主だったところはキャプションで解説するので参考にして欲しい。その内容を聞くに、エンジンという機械に対する知識や部品、加工のプロフェッショナルとの連携がいかに重要なことかを痛感した。旧いクルマを残すというのは、こういうことなのかと…。
佐々木氏は言う。「鹿内氏と会って話すまでは、おそらくこのクルマはもうダメなんだろうと思ってました」しかし、ことは好転した。「奇跡かと思った。今は嬉しいのひとこと」
鹿内氏は言う。「オリジナルのパーツに拘るよりクルマが走ること。でも、それ以上に重要なのは持っている人の気持ち」なにもケアするのは機械だけではない。「クルマは直せてあたりまえ、大事なのはオーナーのハートも直してあげること」
クルマは走ってこそ面白い。復活したシリーズIは再びストーリーを刻み始めた。ステアリングを握るオーナーの明るい笑顔がことさら印象的だった。